今週の『サンデー毎日』にちょっと風変わりな記事があった。衆院選の当落予測や小沢一郎氏のインタビュー記事が巻頭にまずあって、それとは別、雑誌後半の目立たない配置の記事だったが、内容は紛れもなく今回の総選挙に向けたメッセージであった。ミステリー作家・海堂尊氏による「今の自公政権は中南米の往時の独裁政権と瓜二つ」という寄稿。「雲のごとく 詩聖ネルーダ」という氏の長期連載が終わったタイミングで、小説の書籍化をにらんだ宣伝の一種だが、その昔、南米に数年間暮らした身としては、なかなかに興味深く感じられた。


 あいにく氏の小説は読んだことがなく、今回の詩人ネルーダの連載もまったく見ていない(そもそも週刊誌の連載小説を読む習慣がない)。それでも氏が医療ミステリーを得意とする医師出身の人気作家であることは最低限知っていた。とくに『チーム・バチスタの栄光』というデビュー作のタイトルは強く記憶に残っている。「バチスタ手術」という心臓の先端医療に由来するタイトルであることは、あとになってわかったが、医療の門外漢にしてみれば、当初思い浮かんだのは、キューバ革命で倒された独裁者バチスタのことだった。


 つまり、氏に対するデビュー時の着目は、まるっきり的外れな理由からだったのだが、意外にも海堂氏は「バチスタ・シリーズ」など医療モノを次々書いたあと、いつの間にかカストロやゲバラなど、それこそキューバ革命の主人公たちの小説を書くようになっていった。今回の作品で取り上げた詩人ネルーダも、チリの独裁者ピノチェトと闘った実在の文人である。海堂氏がこうした「ラテンアメリカもの」に入り込んだきっかけは、NHKの紀行番組でたまたまキューバを訪れてからのことだという。勝手に想像するならば、番組誕生の裏側には「バチスタ手術」という言葉に私と同様の反応をした人がいたのではなかったか。


 今回の氏の寄稿は、昔から腐敗しきった権力者やその取り巻きが富を独占し、著しい格差社会を築いてきた中南米の国々に、近年の日本が似てきたと指摘するものだ。同じようなことを私も20年近く前、南米から戻って来て考えたことがある。生活のさまざまな場面で各種料金がチョロまかされ、あからさまな賄賂の要求をされることも珍しくない中南米の国々では、現地に住む日本人が集まればたいていの場合、「先進国国民」の目線から現地の社会を蔑む会話になったものだった。


 そんな傲慢な感覚がぐらつき始めたのは、帰国後に1冊の本を読んでのこと。ロバート・ホワイティング『東京アンダーワールド』。そこには進駐軍の物資横流しで財を得た不良米国人の商売人たちが、日本のヤクザや政治家らとどっぷり癒着して東京を牛耳った50~60年代の社会が描かれている。何ということはない。ついこの間まで日本も中南米とさほど変わらない途上国まる出しのアジアの国だったのだ。


 海堂氏の寄稿は、過去のことだけでなくまさに現在の日本、新自由主義を錦の御旗にして富の独占を押し進める「支配階層」への痛烈な批判である。実際ここ10年ほど、政府ぐるみの醜聞隠蔽や公文書の偽造、司法の腐敗、裏金の横行など、身も蓋もないニュースが枚挙に暇がない。先進国を自称することがもはや恥ずかしくなるほどだ。これではまるで中南米、いや違う、たとえばチリのピノチェト政権崩壊は、民衆の投票行動で実現した。現地では武力革命やクーデターばかりでなく、民意による自浄もしばしば起こるのだ。その点では、「なされるがまま」の日本の民衆よりまだましだ。海堂氏は、こういった日本の現状は、何よりも本質を突く議論を封印するメディアに責任があると言っている。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。